那須 千本松温泉
| MAP 栃木県那須塩原市千本松 |
千本松温泉
” なんとなく親近感 ”
幹線道路からの道はしっかり整備してなし
駐車場も舗装してないもちろん駐車場所を示す線も無い。
定員の想定が多く無くて、無理に背伸びはしない運営なのかなぁ、って思え、
なんか親しみが沸く感じでした。
車は好きな所に前向きでアバウトに止め、
数本しかないの杉林を避けてのアプローチ。
玄関口受付は狭いが肝心の風呂、露天がいいのである。
露天はまだ新しい感じでした。内湯からのギャップもいいのでしょう。
受付からは脱衣所がちょっと変則な配置だが、
直ぐ脱衣所は飾らず余計な物、スペースは造らずで好感。
昔はだいたいそうだった。
お湯もヌルツルツルのなかなかの泉質で
このあたり栃木県北部平原一帯はヌルツル温泉の出る地のようだ。
俗にゆうモール泉なのかは正確に解らない?
一帯の源泉温度は60℃前後である。
元来、モール泉なるものはそんなに高温なのかどうか?
ここはにおいが特に強かった。樹木油のような匂い。
通称である泉名の線引きは難しいし定義が定かでなく良く解らない
また匂いの表現はこれまた特に難くい。”モール”と単一できるものなのか?
個人差はさて置き、植物由来の有機物でもいろいろ有るのである。
色的には若干の色付きで透明な緑色であるかのように見えるが、
浴槽の床石に緑色凝灰岩が敷いてあるので
石のみどり色の影響が大で緑色に見える。
実際は微妙に褐色が解けたお湯だったように思えた。
この辺は床石に十和田石だと思れる、
緑色凝灰岩を敷いてある施設が特に多いと思う。
拙者の好みに合う。大谷石や十和田石などの
あのみどり色はクールだが暖かい、清閑で心が和らぐ気がします。
大谷が近いので凝灰岩に対し親しみがあるのか。
北関東では家の塀や蔵に大谷石が使われているのをよく見る。
大谷には石の地下採掘場跡を見学できるところがある。
狭いとこが落ち着くと言う方はどうぞ、
地下空間の大きさ広さ高さは驚くものがあります。たぶん落ち着かないでしょう。
露天には片流れ屋根の洗い場と湯舟が二つある、内湯からだと意外な規模。
手前の浴槽は前面が切石で綺麗に組んでおりシャープな感じ湯口一つ。
奥側の浴槽は裸岩で組んである、湯舟の真ん中にも岩が高く組んでおり
その頭からお湯が流れ堕ちる、湯口は奥の石組みにもあって二箇所です。
これだと混んでいて向かい合いって浸かった場合でも
湯舟の中央に湯口がある配置はよくあるが、どこも低いものだ
ここはそれほど広い湯舟でないのに岩が高く組んであるのである。
この組み合わせは良いと思うのだが、有りそうでなかなか無いのである。
洗い場の片流れ屋根もある程度だがこちらの浴槽にも掛けてあるで雨も凌げそう。
結構考えて設計してある。
個人的には好きな造りに近い。それほど広くないがまとまった良い露天だと思う。
内湯は浴槽から溢れてるお湯に飛び込んでさらにもっと溢れ出させたりして。
狭いなりに気持ちよかった。
| ■ 千本松牧場オフィシャルサイト ■ 地図リンク 栃木県那須塩原市千本松799 7:00 ~ 24:00 ( 受付23:00 ) |
大谷石のついでの話。
大谷石で造った特に有名な建築物は、帝国ホテルライト館である。
アメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトの設計により、
11年の歳月を費やし1923年にその本館は完成した。
9月1日に落成記念披露宴が開かれることになったが
どういう運命のいたずらか、関東大震災が東京を襲ったのは、
まさにこの宴の準備に大忙しの時だった。
周辺の多くの建物が崩壊したり、火災の猛火に見舞われた中で、
このライト館だけは小規模な損傷はあったものの
ほとんど無傷のままで以前と変わらぬ勇姿を放っていた。
ライトの帝国ホテルは、ひときわ人々の目を引いたのであった。
このときライトはすでにアメリカに帰国しており、二ュースによって、
震災の一報を知り東京の主な建物はすべて崩れたと聞いていたが、
2週間後この事実を一番弟子である遠藤らの手紙で知り狂喜したとか。
また先の大戦では、相次ぐ空襲により喪失した所もあるが
敗戦後、GHQにより修繕され旧来の姿を取り戻し、
新本館が出来るまで、その役目を果たした。
取り壊しの際には震災にも空襲にも耐えたこのホテルの存続を訴える
大規模な反対運動が起こったほどだ。今では愛知県の博物館明治村に
移築された玄関部分だけから当時を思い浮かべるしかない。
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