飯坂温泉 鯖湖湯
福島市飯坂温泉
電車だとJR福島駅から延びる9.2kmの短い営業路線距離である
福島交通 飯坂線で11の駅を経て終点の飯坂温泉駅で下車、
車だと福島市内から約30分前後で着く。
一時代を築いた温泉地、今はその賑やかさは無い。
復興の先駆けで鯖湖湯が再建されたが、どうもしっくりこない
今までどうり熱いのが鯖湖湯なのではないのか。
箱は最高です。前の建物を再現したそうで、
ひのきづくり(ヒバ込み)で湯殿は御影石仕上げと、
共同浴場としては、伝統を継承した風格や規模と
飯坂温泉のシンボルとしたらベストの建物ですばらしと感じました。
(既製木材で在来の柱の無い広さは構造の限界に近いか、法ぎりぎりかと)
脱衣所と湯殿の仕切りの無い伝統な造りである。
昔どうりなのかなぁ~、いいね~って!感じである。
御影石も吾妻御影の産地が近いためか一石一石がデカイと思います。
浴槽の縁を黒御影の帯で締めてあるのも気に入りました。
その黒帯からあの熱い透明なお湯が溢れ出ていく。
ラジウムが含まれてるらしいが1回2回の入浴じゃぁ、
ラジウムの効能なんてわからない、
熱いのがこの湯の良さであり、それが効能になる。
念入りの掛け湯で熱さを慣らして、やっと浸かっても
身動き一つできないほど熱い。
たまに行く人には、癒される温泉じゃなく、
喝を入れてくれる温泉だと思って、そんな感じで納得してください。
体を微動だにせず ”カアーッ 効くーっ”て感じです。
地元の人でなくとも、過剰加水は御勘弁願いたいところです。
以前の建物、見てませんが、建て替えまでは明治22年の落成で
日本最古の木造共同浴場だったそうです。
道向かいに旧堀切邸なる大地主の屋敷が残っているが
この堀切家、豪農、豪商であった。
東京市長と内務大臣を務めた者もおる、屋敷は堀切家代々の
資料館になっている。
その資料中で
【”堀切良平”が明治21年の大火災の後、私財で一帯を整備した】
とあるのでその時に当時最高の、増してこのあたりでは飛び抜けた
浴場を良平が建てたとものと思われる。
英雄だね。現代ではとても考えられない。
現在の建物もまた100年以上もの歴史を刻むことになるのでしょうね。
《熱い湯》に戻ります、
このケースは極端なのでしょうが、私が入ったときも居ました。
湯船の縁に腰掛けてに足だけ入れて水を増しっ放しの君たち、
君たちは鯖湖湯を足湯にしに来たのか。足湯は外にあるだろが!
心で思い叫びましたがそれでは収まらなかったので、
丁重に注意を致してしまいました。
”熱い場合は水を入れてください”と張り紙があるからって限度がある。
熱く無ければ鯖湖じゃない、自分は鯖湖湯に来たんだ遠路遥遥来たのに、
って皆さん遠路遥遥なので問題ですね。外の足湯も熱いらしいしです。
出る時に子連れが入ってきましたが、あの子供、かなり水を埋めないと
とても湯船に入れたとは思えません。
TVでもやってました、熱くて入れなく帰る人もいると、
がこの放送の方も問題点がずれていて
解ってねえなこの放送は」ってな感じでした。
最近の民放TV放送は嫌気が差す番組みが多い。
問題は熱い事を知らずに浴場に入ってしまうことと
鯖湖湯(飯坂)はあついお湯であることの
認知度の低さであると思うのだが。
現状は解ってるんだけど、
しょうがないんでしょうね、飯坂観光開発㈱さん。
とはいったいどんな会社なのか。
”熱い場合は水を入れてください”
熱いお湯の浴場ではほかの地域でも良く見るが
この張り紙を見て、お役所的な発想してるなと思い、
川岸に続く廃業した旅館ホテルの廃墟群を連想した、
廃墟の規模には見てびっくりし唖然としました。
張り紙するなら入口に“熱いです。入れない人が普通です“と
書いた方が! まぁ これは無理だとしても、
湯船に落とし板で仕切りを作り、
温めと熱めに仕切ったらどうでしょうこれならできるでしょッ、
無理とは言わせませんよ。出費が多少で済む
今出来る得作だと思います。
どうでしょうか。恐れながら申しておきます。
しかし根本的な解決にはなりませんが。
そもそも、以前の建物より広くしたとしても、一見観光客が
のんびり浸かるような設計や設備じゃないと思いました。
たかが入浴料200円の浴場だけ入りに飯坂にくる観光客目当てで
建て替えたのでしょうか。
コンセプトが一貫してない無理がある。
湯殿の張り紙は要らないんじゃないの。
それから名の由来なんですが。これまた資料館より、
転記。(たぶん今これが定説と思われる。)
【1800年4月5日。(寛政12年)堀切家に泊まった白河藩主の松平定信が、千年前の京都に残る拾遺集に書かれた詠み人不詳の「あかずして別れし人のすみ里はさはこのみゆる山のあなたか」を飯坂のうただと確信します。さはこ、とは、「飯坂の碑(明治23年建立)」に「左波古和言 鯖湖相通」と記されてあるように、「大和民族の言葉である鯖湖は、(大和民族の言葉でない=飯坂の先住民族=アイヌ民族)の音声であるさはこ(訛って、さばこ、漢字を当てはめて左波古)と同じですよ」と想像されます。さらにさかのぼると、アイヌ語で「さ」とは「平ら」、「はこ」とは「谷」を意味したのではないかと考えられます】
と記されてあるが「左波古和言 鯖湖相通」への
想像が良く理解できないしなんか怪しい
『さはこ』は同じ福島で”いわき(岩城)”にもある。
三函と書くこの湯は1900年の歴史があるんですと、
白河の殿さんの勘違いからの由来かもしれない、
だとしたら、これが一番おもしろい。
アイヌ語説ですが飯坂は平らな谷なのですか?
いい坂を“程よい坂”で緩やかな坂が平らな谷の解釈もできるが。
平らな谷では谷の意味を成してなく、
特に鯖湖湯近辺では谷もなく無理があるというか説明になってない。
それよりも近くに、はこゆ(波来湯)があるが関係はどうか。
ここも歴史があり場所は川岸へ階段を降りて行った
かなり低い所にある。
(鯖湖のほうが古い説があるが疑問、
波来湯のほうが川に削られ地盤が低い分
岩盤が薄く自然湧出しやすい筈、
大昔からの自然湧出だった可能性だってあるのでは、)
工事中で行けなかったので上から見た限りでの、
しかも想像になりますので。悪しからず。
摺上川の削った谷底であるのでアイヌ語説(はこ=谷)はここなら通る。
また昔は川の波が来るほど水際で文字どうりそのままの
”波来”でも説得力がある。
箱と書く説もあるがこれはつきなみだ、
こちら波来湯の名の由来もいろいろあるが、
元々は波来湯が初めにあり
波来のそばあるで“そばはこ”から“さばこ”にでは強引か。
単なる勝手な想像にお付き合いありがとうございます。
ちなみに波来湯近辺一帯の工事は平成6年に起きた、
飯坂温泉衰退の象徴的火災、
駅前旅館 若喜屋の火事の焼け址撤去工事です。
今まで(平成18年秋)手がつけられなかったみたいです。
再生これからですね。再建中も一興です。また訪れます。
そのときはまた喝を入れてください。



