玉川温泉
”森羅万象を越え、奇跡をつかめ”
全国からガン治療のための湯治にやって来る。
心気の和みなどは超越した世界。
一泊だけお世話になりました。
夕食での隣の席の人は京都から、その隣も京都からだった。
不景気で特に大阪は大変だと聞くが、京都は金持ちが多いんですか?
料理はバイキングだが品目は毎日変わるらしく評判は良かった。
泉種は酸性-含二酸化炭素・鉄(Ⅱ)・アルミニウム-塩化物泉。
とはいっても泉質名ではちんぷんかんぷんで良くわからない。
ph値の1.05は文句なし、無色透明で硫化水素臭。
源泉は旅館からは離れて沸き川となって流れくる。
大墳(おおぶけ)から約8,800ℓ毎分という量で
ボカボカ、ボカバシャ沸きあがり川となって流れてゆく。
ガンに効くといわれる北投石の岩盤浴場はこの大墳の奥にある、混みようは凄い
ので地熱のあるところをならばどこでも茣蓙を敷いて横になってる人も多い。
大噴から少し下流になる旅館には大浴場が一つあるのみ。
これがこれぞ大浴場という感じで、木造だが重厚でスケールが大きい
由緒あるお寺の本堂と変わらぬ太い柱が立ち並ぶ
直径50~60cmはあろう丸柱が何本もならぶ。
飾りは無いが、威風堂々 泉質に負けない浴場だ。
洗い場の設備も整い意外と近代的である。
浴槽はいくつも分かれており
約ph1.1の源泉100%のメイン浴槽、
ずっと入ってる人も居るので個人差は在ると思うがピリピリと肌を刺激する、
傷があったりすると刺激はただものではない。拙者はそう長くは無理でした。
50%に薄めた浴槽がふたつ熱いのと温いのとがあり、
拙者はこちらの刺激でも十分な気がした。
そのほかにサウナ 寝湯 打たせ湯 饅頭湯 露天湯 50%気泡湯がある。
露天湯は何で露天が付くのか?まぎらわしいが露天風呂ではないのだ。
紙コップが用意してある飲泉コーナーもある。水と源泉50%があり、
水で2割程度に薄めて呑むようにと説明がある。
ちょっと濃いめのを呑むと味は“ポッカレモン”そのものではないか。
なに!濃いと歯が解ける場合があるらしい。
あわててうがいした、念入りに水で何回もうがいした。心配性である。
トイレや御みやげ屋の出入り口などには
手の殺菌用のためシュポシュポタンクがおいてある。
以前、食中毒がでたための対策と思われ、
現在では衛生面に凄く気を使っている。
部屋にはTVが置いて無かった、ある部屋もあるのか?
見たければテレビ室なるものが設置されてあるのでそちらへとなる。
湯治客が多い、長く滞在していると曜日がわからなくなってしまうのだろう。
脱衣所の浴場出入り口に敷いてあるマットは
その日の曜日の頭文字が入ったものだった。
たぶん毎日変えられている。海上自衛隊のカレーライスを連想させられた。
大噴から沸き上がる湯、温泉としては絶大なこのお湯だが
流出する強酸性のお湯は渋黒川を経て玉川へ、そして下流へと流れていく。
もちろん現在は中和施設やダムがあり下流の川、湖は酸性の影響は受けない。
だが温泉としては絶大であるお湯がゆえに
中和施設が建設されるまで、この河水はpH1.1で実際、塩酸が流れていると
言ってもいい強酸性の川であった。
このため古くから“玉川毒水”と呼ばれ、魚介類は全く生息できず、
水田に流入しては稲の枯死を招き、久保田藩の時代にも民を悩ませた。
江戸時代から幾たびの対策が計られただがいずれも成功しなかった、
特に1940年(昭和15年)の国策として行われ田沢湖を利用した中和事業では
逆に田沢湖が強酸性になり田沢湖の魚が全滅するという事態になった。
昭和14年に、電源開発と農業の振興を目的とされた
「玉川河水統制計画」が策定され、
昭和15年に国策の名の下に玉川の河水を田沢湖へ導入して
希釈する方法が行われた、〈翌年1941年(昭和16年)が真珠湾攻撃である。〉
結果として田沢湖固有種である国鱒絶滅という惨事となった。
その強酸性水によって国鱒をはじめ多くの魚が生き絶えてしまった。
現在では平成2年に完成した中和施設によって玉川の水を中和して流しており、
湖の水の酸性度はある程度下がっているようだが、
60年経った今でも依然として酸性にも強いウグイしか泳いでいないという。

現在ならば環境問題として大きく取り上げられるところであるが、
当時は国家を挙げての政策でしかも戦時体制下の真っ只中である。
幻の魚となった国鱒、この固有種の存在が顧みられる事は全く無かった。
秋田では無為な国策は八郎潟にも及んだ、
日本で二番目の広さを誇った、八郎太郎が創ったと云う湖。
四角い大きな帆を膨らませた、うたせ舟が何艘も漁をしていた八郎潟は干され、
水田に変えられた。オランダ人技師が招かれ
1957年に着工し、入植は1967年から竣工は1977年であるが
すでに工事中の1970年から減反、米の生産調整が始まり
現在に至るまで休耕田の土地が多いのが現状だ。
入植には玉川中和施設と連携して造られた玉川ダムの建設に伴い
移住を余儀なくされた集落も充てられた。
二十年の歳月と巨額の税金で元に戻せない自然破壊だけを行った事になる。
この我が国、日本の政策の無責任さは、年季が入っているのである。



